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K先生

忘れられない先生がいます。

中学生の頃僕はバレーボール部に所属していました。

とは申しましても真面目に活動していたのは1年生の1学期までです。 行かなくなった理由は

『夏休みなのにナゼ毎日学校に行かなくてはならないのか!?』

というダメダメな発想によるものです。

現在ではどうなのか知りませんが、この当時にクラブ活動(特に運動部)を正当な理由もなくサボり

続けるというのは重罪に値します。

よって誰からも突っ込まれなくなる完全な幽霊部員になるまでは逃げるように下校していたの

ですが、何とも間の悪い事に3年に進級したときにバレー部顧問の先生が担任となったのです。






バレー部顧問であり、担任でもあるK先生は九州の出身らしく、短く刈り込んだ頭髪に

凛々しい眉、という絵に描いたような九州男児でした。

確か30後半と公言していたように記憶していますが、笑うと顔中に深いシワが刻まれるその表情

からは自称年齢よりもずっと老けた印象を受けました。

新しいクラスの教室にK先生が入ってくると同級生達は面白がって

『先生!蛇井やで、蛇井!』と僕の存在を知らしめるのですが、K先生はただ笑って

『1学期まではクラブに来なアカンぞ!』と軽く受け流してくれました。

今もあまり変わりませんが僕は目立たぬ存在で、特に中学生の頃は完全に≪1人≫を

好んでいました。

昼休みも誰とも遊ばず、プール裏の草むらで親戚のオジサンから貰ったバッタ屋製の

ウォークマンで洋楽を聴いて過ごすのがいつのまにやら日課になっていたのです。





ある日の事、その秘密の空間にK先生が現れました。

『お前、ココで何してるんや?』にこやかに話しかけてはいますがK先生はズ太い

声です。

僕は何となく悪い事をしている様な感じがして『あぁ、ちょっと…』と言い残して立ち去ろう

とするのですが、K先生はアレコレと一方的に話しかけてきます。

中学生である当時の僕は≪大人と話す≫という事が大の苦手でした。

『えぇ。』『まぁ…』『はぁ…』と、うつむきながらモジモジと対応していたのですが、

気がつけばいつの間にやら僕は両親や唯一仲のよい友達と会話するかのようにK先生と接して

いたのです。

(なんか俺、大人と普通に話せてるやん!)と、まるで自分がTVドラマに

出てくる≪やんちゃな中学生≫になれたような気がして妙に感激しました。

ただ大人と話す、という他人からしてみれば全然特別でない事かも知れませんが、当時の僕に

とっては革命的だったのです。






その日を境にK先生は僕が昼休みを過ごすプール裏によく顔を出すようになりました。

親しい仲になったとはいえ基本的に僕は受身で、他愛もない話を切り出して話し続けるのは

K先生です。

どの様な会話の流れだったかは忘れましたが、K先生は学生の頃に詩集を出版した事がある

らしいのです。

小さな出版社で発行部数も少ない為に今では書店に無いとの事でしたが、僕はどうしてもその

K先生の詩集を読みたくて本のタイトルを訊ねました。

今ではパソコン1つで造作もないハナシですが、当時は1987年です。

ある日僕は祖母の家に行ったついでに大阪中央図書館に立ち寄り、そしてソレを拍子抜けする

程にあっけなく見つけたのです。

てっきり僕はK先生単独の詩集と思っていたのですが、実際には数十人の詩が掲載された本で、

しかもK先生の詩は10ページ程。  詩の内容はK先生が飛騨を旅行した時のモノで、はっきり

言って面白いものではありませんでした。

いくつかあった詩の中に≪著しく〇〇≫と、頭が全て≪著しく~≫で始まる詩があったの

ですが、後日僕はK先生が受け持つ現代国語のテストの選択問題で

≪イチジルシク(ア)≫≪イチジルシク(エ)≫≪イチジルシク(オ)≫

と書いて提出したのです。

返ってきた答案用紙には僕が書いた≪イチジルシク≫の横に赤ペンで小さく(+2)と書かれて

ありました。






ご想像の通り僕は学校の勉強に全く関心をしめしませんでした。

よって≪高校受験≫なるモノには一欠片の緊張感も持ち合わせておらず、両親の

『せめて高校ぐらいは…』という願いで受けた高校もことごとく落ちる始末。

当事者である僕は痛くも痒くもなかったのですが、両親は我が息子の将来を案ずる日々を

おくっておりました。

ある日の事、どういう計算でそうなったのか両親は僕に自衛隊への道を模索し始めた

のです。

世間で言う所の『オマエ自衛隊へ行け!』は冗談半分が定石ですが、僕のオカンの

実家は熊本の自衛隊一家なのです。

しかもおじさんは戦車乗りの大幹部!

その気になれば電話一本で蛇井〇等陸士の出来上がりです。

さすがの僕も『こりゃタマラン!』という事で、翌日僕は今からでも間に合う定時制高校の

2次募集だか何だかの受験をK先生にお願いにあがりました。







ご存じの様に定時制高校とは昼間に働いて夜は学校へ、というサイクルです。

僕とK先生とで就職活動の日々が始まりました。

授業中や放課後、学生服を着た僕がK先生の車に乗って校門を出て行くのです。

下校中の同級生達は不思議そうな目でその車を見送ります。 

中には『おい蛇井!どこ行くねん!?』と車の窓越しから大声で訊ねてくる空気を

全く読めない奴もいます。

自分がまいた種とはいえ、あの瞬間は辛かったです。

よってK先生の車で校門を出るときは、なるべくシートに深く腰掛けで外からはなるべく僕が

見えないような工夫をしていました。

卒業までの数日はそんなドタバタの日常を過ごしましたが定時制の高校も無事合格、就職先も

自宅から自転車で20分程度の所にある小さな塗装会社に決まりました。

そしてその卒業式まで僅かというある日、K先生は僕にとんでもない提案を突きつけたのです。






サボり続けたクラブ活動の件です。

それはどのような算出方法かは忘れましたが≪サボった日数≫に対して

何かしらを÷だか×だかをして出た数字分グランド〇〇周!という、まさに青天の霹靂

ペナルティーだったのです。

これには驚きましたが何となく≪ノリ的≫に拒否できない空気を感じ取った僕は仕方なく

承諾しました。

さらに不正防止の為にK先生もその罰則マラソンに付き合うというのです。

連日ではありませんでしたが、〇〇周を分割して走りましたのでこの課題をクリアするのには

10日以上を費やしたと思います。

その時期に3年生がジャージを着て放課後にグランドを走る姿はとても目立ちます。

ましてや後ろのK先生に追い立てられるような格好なのですから尚の事です。

そのうち≪本日のラスト1周≫は後ろのK先生に抜かれたら負け、という暗黙のルールが

自然発生しました。

そしていつの間にやら僕とK先生とのデッドヒートはグランドでクラブ活動をしている下級生たちの

間で名物となったのです。

印象深い思い出があります

いつもの様にラスト一周バトルを終え、喘ぐように顔を上げると、どういった具合でそうなったのか、

カタカナの≪キ≫の形をした飛行機雲がオレンジ色混じりの青空に浮かんいました。

走るのが困難だった程に風が強い日だった事を今でも鮮明に覚えております。












定時制の高校にも慣れ、職場でも≪無口で無愛想な奴≫という僕にとっては

居心地のよいレッテルが貼り付きだしたある日、忘れられない出来事が起こりました。

塗装前の金属部品に付着した油分をシンナーで拭き取る作業をしていた時、後ろから唐突に

『おい!』と作業長に呼ばれたのです。

返事もせずに振り向くと、そこにはK先生が立っていました。

『どうや?頑張ってるか!』相変わらずの深いシワを刻んだ笑みで僕に問うて

きます。

この時僕は鏡を見なくても自分が赤面している事がはっきりと分かりました。

僕は片ヒザをついたままの姿勢で『はぁ…』『まぁ…』と、いつになく無愛想に応えます。

この時僕は心の中で(早く帰れよ、早く帰れよ!)と唱えていました。

未熟だったのです。 ついこの前まで学生服に身をつつんでK先生と接していた奴が今は油と

ペンキまみれの作業服で先生と対峙しているという事が何故かたまらなく恥ずかしかったのです。

K先生は作業長に軽く会釈をして立ち去りました。 この対面は1、2分程度だったと思います。

僕は何事も無かったかのように元の作業に取り掛かりました。

顔を上げずとも周囲の視線は僕に集中している事は感じていましたので

(まったく…、こんな所にまで来るなよ)と、あからさまに

≪私は今、不機嫌ですよ≫という表情を作り上げ、黙々と作業を続けました。

どれだけの間不機嫌顔を続けたでしょうか、その継続にも疲れた頃、僕は作業を止め、誰にも

告げずに小走りで大きなコンプレッサーの隣にある屋外のトイレに駆け込みました。

そしてトイレのドアを閉めた瞬間、自分でも信じられない程の大粒の涙がボロボロとこぼれ

落ちたのです。

どういった感情を打ち消したかったのでしょう、K先生に接した時の未熟な態度になのか、

それとも≪誰からも相手にされなくて結構≫と弱い自分を守る為に似合わぬ強がりを続けていた

自分になのか、あるいは単純に懐かしい顔を見た事によってその虚勢から解き放たれた安堵感

だったのか、もしくはその全てだったのかも知れません。

拭っても拭っても玉のような涙は止まりませんでした。

自分はまるで母親と再会した迷子か?と思うと今度は笑いと涙が均等に溢れてきたのです。

嗚咽とこみ上げる笑いによって呼吸もままならぬ程でした。

ふと顔を上げて映ったトイレの鏡からは赤面は消えていましたが、そのかわりに両頬と鼻の頭に

緑色のラインが数本ひかれておりました。









29歳の時、僕は職を失いました。

15歳の頃に勤めていた塗装会社を辞めてからは定時制の高校を卒業するまでアルバイトを

転々とし、20歳頃から父親の建設業を手伝っておりました。

その自営業の仕事が激減したのです。

激減したと言ってもゼロになった訳ではありません。 2人でやる程には稼げなくなったのです。

そうなれば当然出ていくのは僕という事になります。

とは申しましてもすぐには働く気にはなれませんでした。

建設関係の自営業というのはかなり自由で、約束された工期さえ守ればいつ帰ろうが、

いつ休もうがある程度は思いのままです。

ましてや雇い主が父親となればダラケ放題、もちろん仕事は真面目にこなしますが

『明日ライブやから』と休んだり早退したり、昼からノコノコと現場に現れたりを月に

3、4回やっておりました。

そんな生活を8年以上続けているものですから再度チャイムとタイムレコーダーに縛られる生活を

おくる自信がなかったのです。

しかし無職とはいえ、ええ年した男が1日中家に籠もっているのもどうかと思い、朝はいつもの

通勤時間になると自転車で出かけておりました。

その足でハローワークや仕事の面接に行く訳ではありません。 図書館で本を読んだり、

自転車で淀川の河川敷をアテもなく走ったり、園田競馬場で1日中過ごしたりという自堕落な

日々を繰り返していたのです。

そんなある日、僕は偶然にもK先生と再会しました。







梅田の地下街を歩いている時でした。

前から歩いてきた男性が僕を凝視しながら通りすぎて行くのです。

僕は稀にその様な視線を感じる事があるのですが、決してその視線の主を確認する事は

ありません。

けど今回だけは特別な何かを察知したのか、しばらく歩いて僕は後ろを振り返ったのです。

平日の昼間とはいえ人通りの多い所です。 僕を見ていたであろう男性はその通行人を

さえぎる様にして通路の真ん中に立ち、まだ僕を見ていました。

先方もあまり自信がなかったのでしょう、恐らく声には出していなかったと思いますが、

その男性は唇を動かしたのです。

その動きは僕の名前でした。  最初その男性と視線を合わせた時は誰だか分かりません

でしたが僕はそれでやっとK先生だと気付いたのです。






『どうも』だったか『お久しぶりです』か、短い挨拶でもって僕はK先生に歩み

寄りました。

K先生の問いに『今年30です。』と応えるとK先生は人目もはばからず大笑いしました。

学生服を着た教え子だった少年がいきなり30男となって目の前に立っているのです。

確かにコレは愉快かもしれません、しかしソレは僕とて同じです。

そこそこにエネルギッシュだったK先生がまるで老けた特殊メイクを施しているかのように豹変して

いるのです。

K先生は今日僕に何の予定もない事を確認すると地下街から地上へと僕を誘い出しました。








K先生に連れて行かれたのは東通商店街の横道にある小さな飲み屋さんでした。

その道中、僕はK先生の訊ねるがままに近況を伝えました。

K先生は僕が現在無職である事を案じてくれたのですが、僕はとっさに『次はもう決まっている』

というようなデタラメを言いました。

久しぶりに再会したK先生に今も15歳の時と変わらぬような心配をさせたくなかったのです。

K先生と訪れた飲み屋さんは7、8人も座れば満席という規模で、L字型のカウンターの中では

店構えに反するようなプロレスラーのように体の大きな男が開店準備をしていました。

僕も人の事は言えませんが、平日の真っ昼間に4、50代、初老のお客さんは薄暗い店の中で

すでに出来上がっている状態です。

僕はK先生が勧めたビールを飲みながら定時制高校での事や今までの職歴を伝えました。

K先生はこの時50代後半でしたが数年前に教師を辞め、今では好きな分野の研究と旅行に

時間を使っているそうです。

しかし、この時は気付きませんでしたが、どうしてK先生は僕を覚えていたのでしょう?

生徒からしてみれば人生で関わる先生は数名ですが、その逆の立場からしてみれば生徒の

数など何百何千となるハズです。

前述の通り僕は特に目立つ存在ではありませんでした。 それとも教師という人種は今まで

送り出した生徒を全て覚えているものなのでしょうか。

僕が常に『先生、先生』と切り出していたので、隣に座っていた爺さんが僕達の関係に

興味を持ち始めました。

元教師と教え子だと伝えるとその爺さんは何故か大変羨ましそうにし、誰に訊かれた訳でもない

自分と先生との思い出話を周囲に語り始めました。







僕が今まで色々とあったように、K先生はこれまでどの様な出来事があったのでしょう?

そして遥かに人生の先輩であるこの爺さんは今までどれだけの事を経験してきたの

でしょう。  タクシーの運転手であるという端に座る親父さんには、プロレスラーのように

大きな店主の青年には、さらに言えば僕とすれ違う見知らぬ人達にはどれだけの幸せと不幸が

あったのでしょう。

普段は特別何も考えていないような知人が安定した暮らしをしているのに対し、当時の僕は

僅かな貯金を切り崩して生活する無職の男です。

理不尽ととらえ、はきちがえた逆恨みをした事もありましたが、ふと、様々な意味で今ここで

こうしている自分の現状を楽しめるようになったのです。

それぞれの談笑による喧騒の中、僕は(こんなのも悪くないよな)と思い始めました。

『先生、こんなのも悪くないですよね』K先生は僕が今こうして飲んでいる事を

指して言ったと思ったのか『おぉ!』と相槌を打ってくれます。

急に目の前が開けたような気がした僕は隣りの爺さんにも

『なぁ親父っさん!こんなのも悪くないですよねぇ!』と唐突に問いかけ

ましたが爺さんも『そやのぉ!』と都合のいいように解釈して応じてくれました。

K先生との尽きる事のない会話の最中、罰則マラソンで見た飛行機雲や15歳の頃にK先生が

職場に訪ねてきてくれた事を思い返し、僕は不覚にも瞬きをすれば涙がこぼれ落ちるような

状態になっていました。

しかしそれは炭火の煙やタバコの紫煙で皆、同じ様な目をしています。

正常に機能していない換気扇のお陰で僕は救われました。

店内の裸電球が灯る頃、僕の体には相当量のアルコールが浸透していました。







翌日、僕は人生で2度目のアルコールによる≪記憶が無い≫を経験しました。

明け方に中之島公園のベンチで目覚めた僕は桜がようやくチラホラと咲き始めた肌寒い4月だと

いうのに寝汗でぐっしょりでした。

どういった経路でここまで来たのか、そして失礼な事に、どうやってK先生と別れたのかを全く

覚えていなかったのです。 どこぞの路上でK先生に言った

『先生!桜は花よりも葉っぱの方が甘い匂いがするんですよ!』

という意味の無いセリフは何故か覚えていました。

まだ夜の明けきらない薄暗い中之島公園にある自動販売機で買ったスポーツ飲料を2本連続で

飲み干し、もうすぐ始発が走るであろう時間を確認すると、二日酔いだか当日酔いだかの頭を

かかえてフラフラと淀屋橋駅へと向かいました。

今も昔も僕は夜が明ける直前の空も周りの風景も全てが青色に映る僅かな時間が好きです。

貸しきり状態である始発電車の窓からその風景を呆けたように眺めながら僕は

『こんなのも悪くないよな』という言葉を思い出しました。

ちょうど今くらいの季節、10年前の話です。

























今回はどのあたりで気付かれましたか?



























全部ウソです。






(※音量にはくれぐれもご注意下さい) 

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今回は早かったですよ~~~。

そうですね、18行目くらいからでしょうか。
蛇井歴は長いですからね。

でも、気付いてからはすっかり蛇井先生の作品に酔いしれましたね。
これはなかなかどうして、心にしみる文学作品じゃないですか。
リアルにグッときました。
こういうの、私には書けないんです。うらやましいです。

どうですか?800シリーズではなく(勝手に命名)マジで短編書いてみては。
あ、オチとか、いりませんよ・笑

再会のシーンも、飲み屋さんのシーンも、覚えていた桜の話も、素敵です。
思いがけない800でした!!

lime様へ

あら!18行!?
下書き3日、校正1日、制作費タバコ数箱の超大作、すぐバレましたか(^-^;)
まぁ、バレますよね。

実はコレ、limeさんが仰るように短編のアイデアなんです。
それを回想のように書いてみました。
僕の好きな宮本輝先生の短編にはこのようなごく普通の≪日常≫が多いんです。

飲み屋さんのシーン、良いですよね!(笑)
自分でも書いていてホロリときました。
あと≪再会≫ 物語における黄金パターンですが、実に良い素材だと
思います。
いつか≪回想≫ではなく≪小説≫にしてみたいです。

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!
感謝です!! 

すばらすぃ・蛇井先生が出版されましたら大阪までサインもらいに伺いますから・

何だか…数年後にそうなりそな予感

最近引き寄せがすごいのです。思ったことが叶う。今から楽しみにしておきますね

りえ様へ

なんとも心強いご支援、ありがとうございます!!
長文にお付き合い頂き恐縮です。
いや、ホンマちょっと長かったですね(^-^;)

『全部ウソ』とは申しましたが、所々に事実が混ざっております。
今回は回想録でしたが次は客観的に書いた小説にしてみたい
です。

数年後、そうなれたら嬉しいですね!
その時はこちらから伺いますよ~!!

ぶふふふww あのね 電話一本で素敵な蛇井陸士~の辺りまでは どっぷりでしたです^^
っていうか 
どの辺りで気づかれました・・・・ それ出てくるんやろ?でも出てこなかったら・・あああ 私ったらいつのまにそんな汚れた大人に??
でもうまいよなぁ~ えええ?   やっぱ違う? 
・・って 待ってた 「どの辺りで・・」出たのが 気持ちよかった程です (゜×゜*)ぶww
 ~~ ええ すっかり蛇井800シリーズを大木のネギ背負って 探してる??のかもですね (≧m≦)
そうなんですよね~ 私もたまに 明らかに最初っからコントな妄想書くとき 絶対 ほんとの部分混ぜてるんですよねぇ
実はそこが一番生々しかったりするんですが あ しまったwもう書けね~~や ぷw 

ふんふんふううん♪(鼻歌)

前回のアメリカ話での教訓から、今回は最初から疑ってかかりましたとも。
確信したのは飛行機雲「キ」のあたりでしたが(笑)

でも、K先生みたいな先生、いたらいいのになぁと思いました。

maso♪様へ

僕が定時制の高校に通っていたのは事実です。
最初は少々しんどいですが、通っているうちにすぐ慣れます。
薄給といえど毎月十数万円入りますし、16歳にして自分の稼いだ
お金で買ったバイクを2台所有してました。
中学の同級生たちは≪羨望の眼差し≫というやつでしたよ。

この記事は下書きの段階で今の倍はありました。
オチも突拍子のないモノだったので書きながら修正したりと工夫したのですが
やはりすぐ気付かれましたか(^-^;)
仰るとおり、事実も数点混じっておりますよ。

ささめ様へ 

なんと!最初から疑って!(≧▽≦)
まぁ、たしかに戦闘機の航空ショーじゃあるまいし≪キ≫の形に
なる程に密接して飛んだら危ないですね。

しかし、僕のせいでささめさんがいかに心を打たれるノンフィクションに
触れたとしても『ウソやろ?どうせウソなんやろ?』と思われるように
なられたとしたら僕は責任を感じます。

ええ、実際にK先生は良い先生でしたよ。

limeさんと同じく、18行目あたりまで来たところで、一度上までスクロールで戻ってタイトルを確かめました。
「あれ?『800』っていうタイトルだったかな?」と。


これまた、「800」に並ぶ名作ですね。
なんか、誰にでもこういうこと、ありそうな感じがするところがいいです。
飲み屋のあたりはぐっときますねぇ。

で、K先生というのは、やっぱ「○八先生」ですか?(^^;

秋沙様へ

秋沙さんも18行目あたりでしたか(≧▽≦)
いったい18行目に何があったのか確認してみましたら…、
なるほど、スカシ過ぎですね(笑)
チョイとリアリティーに欠けておりました。
次回の教訓にさせて頂きます。

いえ、K先生のKはよくある名前のイニシャルです。
僕が25歳くらいの頃、実際にK先生と街中で会った事がある
のですが、先生はマジで僕の事を覚えていました。
そんなに印象に残るような生徒ではなかったと思うのですが…。
まぁ≪李歐似≫ですからね僕は(´ー`)y-~~

書き忘れましたが 「イチジルシク(ア) イチジルシク(イ)」のくだりが、大変ツボでした。
これは、何かヒントになる出来事がおありですか?

秋沙様へ

いえ、単に≪筆のノリ≫ですd(≧▽≦*d)
プロフィール

蛇井

Author:蛇井
1971年生誕の♂

【尊敬する著名人】
中島みゆき
ヴァンダレイ・シウバ

【愛用ギター】
Ibanez RG7EXFX2 chair仕様

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