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仮説その3

昔からご訪問いただいている皆様、当ブログに≪仮説その1≫≪仮説その2≫と題しました雑記が

あったのを覚えていらっしゃいますでしょうか? (※僕は忘れていました)

≪その1≫では人類が言語を使い出したキッカケとその発展、≪その2≫では農耕など

を中心とした原始文明が芽生えだした頃に繰り返されたであろう人類初の悪行についてまとめて

みました。

~こうして世界は≪力こそが正義≫とも言うべき「北斗の拳」の様な時代へと突入するのです。

しかし、この様な≪暴力と殺戮≫が繰り返されていたのではココまで人類の歴史が発展しているハズもありません。

この理不尽な暴力を食い止めたのは≪さらなる暴力≫ではなく、ある≪概念≫の影響であると僕は考えています。

次回「仮説その3」でこの≪人類究極の概念≫を発表したいと思います~


≪仮説その2≫はこの様に締めくくられておりました。

随分と間隔が開いてしまいましたが何だと思います? ≪人類究極の概念≫それは、














です。

そしてその≪神≫を声高々に唱えだしたのは前述の≪力こそが正義≫の強者ではなく、狩られる

立場であった弱者だと思います。

己の欲望を満たすために殺戮や強奪を繰り返している連中が自分より偉大な者を想定するハズが

ありません。

『お前らそんな事ばっかりしてたらバチあたるぞ!』 

恐らく最初はこんな感じではないでしょうか。  神デビューの当初こそ

『なにが神じゃアホンダラ!』と余計にドツキ回されていたかも知れませんが、僕は

この≪神≫という概念は驚くべきスピードで人類に浸透したと思います。

なぜなら≪神≫という存在は巧みに人間の心理を突いているからです。










皆様は何に恐怖を感じますでしょうか?

蛇ですとかムカデですとか、海水浴中にサメと遭遇するのも怖いですし、ジャングルで腹ペコの

虎と出会うのも怖いです。

しかしソレらは一時的な恐怖であり、言うなれば期間の定められた恐怖です。

回避可能であり、時には駆除、撃退も可能です。

いつまでも心に根付く恐怖ではありません。   人間が真に恐怖するもの、それは

≪正体不明≫です。 これほど恐ろしいものはありません。

スティーヴン・キング原作の「ミスト」という映画があります。

スーパーマーケットだか何だかの店外が視界ゼロの濃霧に包まれます。

店の外へ出た者は何者かによって惨殺されるのですが、深い霧のためにその正体が何なのかは

店内からは確認できません。

一人、また一人と消されていくうちにマーケットに隔離された人々の間では平時では考えられ

ないようなカルト教が自然発生し、時が経つにつれて事もあろうに多数がそのカルト教に救い

を求めるようになるのです。  以前に書きました当ブログ雑記の一言レビュー「ONE」では

「うっかり父ちゃん」の一言で片付けてしまいましたが実に怖い映画でした。

興味を持たれた方は是非ともご覧下さい。

少々横道に反れましたが先程の「バチがあたるぞ!」という言葉ですが、暴力で生活して

いた者には当然届くはずがありません。

しかしながら、どんな強者とて生まれてきたからには必ず死にます。

奇病で発狂したり、時には常識では考えられないような事故で命を落とした支配者もいた事

でしょう。

≪姿の見えない者が司っている≫ ≪本当に実在するのかも…≫ 

こう考え出したらもう止まりません、こうなると自分の都合のいいようには考えられないのが

人間の心理というものです。

しかし悲しいかな、良くも悪くもその人間社会というものは一部の人間を頂点としたピラミッド型が

一番安定しているようなのです。

そして支配者は支配者であり続けるべく≪神に抗う≫のではなく、≪神≫を背景とした政治体制が

しかれる事となるのです。











唐突ですが僕は神を信じます。

それは頭に輪っかを浮かべて天上に住む神ではなく、感謝の対象物としての神です。

心の状態、と申しましょうか、この感謝の気持ちこそが信仰だと思うのです。

「神に生かされている」という考え方は好きではありません。 良くも悪くも僕は自分中心です。

全ての結果は自分がもたらした原因が起点です。 そこに≪神≫は必要ありません。

僕の事ですが、恨みや怒り、愚痴といったような外部に対して攻撃的な気持ちに支配されている

時は人や物に対して感謝の気持ちを忘れている時がほとんどです。

ご存知のとおり、自分達に都合のいいようにねじ曲げられた≪神≫をかかげて争う蛮行の中には

感謝の気持ちなぞ微塵もありません。

先ほど≪気持ちの状態≫と申しましたが、人の心の中に上記のような悪魔がいるのなら、その

対極である神も人の心の中にいるという事です。

恩や優しさを受けて僕が誰かを≪神≫と感謝できるように、いつの日か僕も誰かの≪神≫に

ならなければと思います。





















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『Yeah~!!!!!!!』

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病院に勤めていますと、病んで弱って入院されてくる患者さまと日々対面することになりますが、
患者さまは大きく分けて二つのグループに分かれるように思います。
ひとつは、無宗教派。もうひとつは有宗教派(特に新興宗教)。
無宗教派は現実主義でまじめで己の才覚で社会の荒波を乗り切って来た一匹オオカミ。もちろん御家族がいらっしゃる方も多々おいでですが、誰かと一緒にいるからといって「孤独ではない」とは限らないのは世の常です。
有宗教派のみなさんは、総じて明るい。人工的な明るさと申しましょうか。
宗教を通じて同志がいるという連帯感は、妙な精神の安定を生むようなのです。えてして、こちらのグループの方が治癒スピードが速いし、予後も良いのです。

蛇井さんのおっしゃるとおり、昔の人は神を「弱者を救ってくれる者」「苦痛を与える者を罰してくれるなにかよくわからないもの」としてあがめたのでしょう。
では、現代の神という概念がもたらす最大の功績は、「ひとりじゃないよ」と抱きしめてくれる架空の腕を提供したことなのかしら…などと思ってみたりいたします。

ささめは無神論者なので、たぶん病気になったらまっさきにへちょへちょになる口です(笑)

以前、とある新興宗教の所有する美術館に、短期でアルバイトに行ったことがあります。
基本的には、そこの宗教に入っている方たちが働いているのですが、限定しているわけではないので、フリーターだった私は友達から紹介されて、人手が足りない一週間だけ行きました。
山の中なので、そこで働いている人達が寮のように使っているペンションに泊まりこみです。

食事の時などには、そこの方々といろんなお話をしましたが、皆さんとても良い方たちでした。
非常に真面目で、勉強になることもいろいろありました。

そこの方たちは私が信者では無いことを知ると、「そうですか。偉いですね。」と言うんです。

なんでしょうね。宗教に頼らずに生きていけて強いですね、とでもいう意味なんでしょうか。


いろんな宗教に属する方たちと知り合ってきましたが、ささめ様のおっしゃるように、皆さん総じて明るいですね。
でも確かに、何か不安なことがあったり、絶望的な経験をしてきた方が多い。

そういうことを考え合わせてみても、確かに「神」という概念は、誰もが幸せで強くて不安のない世の中であったら生まれないもんなんでしょうね。


などと考えながら蛇井さんの記事を読み進めていきながら、最後に来るのはあのアンダーストップか、はたまた白衣にカーディガンという奇跡の組み合わせか、とても楽しみにしてしまいました。
そして、やっぱり裏切らないですね。

ブラヴォー蛇井さん。
アンダーストップの「ネ申」です。

ささめ様へ 

新興宗教=人工的な明るさ、実に的確な表現だと思います。
僕が言いたかった事をたったの一言で定義して頂きました。
ささめさん、神ですね。

随分と前の話ですが、アポ無しで家庭訪問されている宗教の方と
≪神はいるかいないか?≫で激論になった事があります。
どういった流れだったかは忘れましたが結論として『じゃあ俺が神だ!』と
宣言したのですが、その方は信じませんでした。
≪神≫を見た事がないのに何故アナタは僕が神ではないと否定できるのですか?
みたいな事を訊ねたのですが、二人ともかなりヒートしてますね(^-^;)

秋沙様へ

信仰者の方が秋沙さんに言われた『偉いですね』はおそらく、
『信者ではないのに偏見を持たれず仕事をされて偉いですね』という意味かも
知れませんね。
例えるなら、本当は浪曲が好きなのに仕事はライブハウスでPAをしているとか。
あ、それでしたら『(こんな事)よくやりますね』になってしまいますね(≧▽≦)

秋沙さんの仰る通りだと思います。 誰かが求めると神は存在し、必要と
されなければ神も存在しない、とてもシンプルで分かりやすいです。

【白衣にカーディガン】よく覚えてましたね(笑)
いやホント、あれは神です。

これは、深くて面白いテーマですね。

私は人に語られるような宗教観というものを、あまり自分の中に持っていなくて。
ただ、「神というものは、きっと一人にひとつ、備わっているんじゃないか」と、やんわり感じていました。
頑張れば報われるし、悪いことをすれば心が痛くなる。
きっとそれは、一人ずつが持っている、小さな神のなせる業。
いいことがあったら感謝し、悪いことがあったら、戒めだと反省し。
だから、新興宗教のように、群れて何かを崇めるという感覚が、どうも理解できず。
でもまあ、それが「幸せ」だと感じるのなら、それはその方達の正解なんでしょう。
(単に、私が群れるのが嫌いなタイプだからかな^^;)

ただ、あれですよね。宗教が発端になって差別したり戦争が起こった歴史を見てしまうと、宗教って、なんぞや!と思ってしまいますね。
心を豊かに、穏やかにするものだけが、神であって欲しいもんです。

ああ、しまった。真面目にコメントしてしまった。ごめんなさい・・・。

lime様へ

いやいやいやいや、真面目でいいんですよ(≧▽≦)
僕の記事よりも皆様のコメントの方が神というものに対して実に
的をえております。
≪一人にひとつ、備わっている≫僕が言った事にして下さい。

僕の周りには生粋の某宗教信者が大勢います。 ごく身近にも。
教えを受け入れない者は心が未熟なのだそうです。 
臆病者にはその信仰ができないのだそうです。 
大変です。

宗教が発端の争いをなくす為に、数ある宗教を1つにしぼる、というのはどうでしょう?
その選出方法はズバリ!≪クジ引き≫です。
最高指導者達によるクジ引きで決めるのです。
一切のハンデ無し、実に公平ですね。
自分達が絶対に正しいと思っているなら拒否は出来ないハズです。

お釈迦様やエス様が渡来なさるず~~っと前 
この国では 水にも土にも火にも神様がいらっしゃって・・ というところからは 
罰当たりな私も 神に生かされている そう感じる事ができています♪

『自分の中に悪魔と対極する神がいる』
うんむ すんごく深いお話ですよね 全くそうなんだとも思いますし 真剣に考えてしまいました
そして 神と悪魔は対極なのか? そこで 詰まってしまいましたwww
んで? 結論
いつかの日か誰かの… 私は 観音様♪がえ~なぁ~ (・∀・)

maso♪様へ

返信が遅れまして申し訳ありませんm(_ _)m
≪悪魔の対極は神なのか?≫言われてみればその通りですね。
勝手に決めつけてしまいました。

そして観音様ですか。
う~む…、ここは深く考えてよいトコロなのでしょうか?(≧▽≦)
プロフィール

蛇井

Author:蛇井
1971年生誕の♂

【尊敬する著名人】
中島みゆき
ヴァンダレイ・シウバ

【愛用ギター】
Ibanez RG7EXFX2 chair仕様

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